地域の時代を迎えて
山極 壽一
総合地球環境学研究所・所長
今、世界も日本も大転換の時代にある。大規模な気候変動で各地に自然災害が頻発し、これまでのインフラでは防災できなくなっているし、農業や漁業も作柄や魚種の変化で抜本的な対策を迫られている。とくに社会の変革は急激で、グローバリズムの進展で確立した世界の分業体制が崩れ、不安定な国際情勢によってサプライチェーンが分断されて、地域の自立が不可能になっている。日本は明治維新以来国民国家の道を歩んできたが、東京一極集中による地域の疲弊が少子高齢化によって加速され、中央政府に頼りきりの地域行政が暗礁に乗り上げる事態となっている。教育制度による全国一律の教科書と標準語による義務教育も、35万人を超える不登校児を生み出し、新たな改革を迫られている。
薩摩会議はこの状況をいち早く察知し、日本全国や世界の各地で活躍している若い世代を鹿児島に招集して、新たな時代の先駆けとなる動きを模索してきた。私のような高齢世代から見ると現代の若者は政治に関心がないように見えたが、会議に参加してみると、実は政治にもう頼らないで自立する心意気を持っていたことがわかった。自ら資金を調達し、現代の情報通信機器を駆使して異分野の連携で新しいアイデアを出し、時代を切り開く地域起こしをすれば政治は後からついてくると考えているのである。これはすばらしい。
人新世を迎えて、ルネ・デカルトの精神が身体に優越するという考えから始まった近代の思想は科学技術と資本主義を生み出し、ICTと人工知能に大きく依存する超スマート社会を作ろうとしている。しかし、これは大きな間違いだったことがわかった。膨大な情報が乱れ飛ぶ世界で中枢機能はマヒし、中央政府は多様な地域の課題を解決できない。地域はグローバルな現象を視野に入れつつ、地域の自然や伝統文化に立脚した解決策を講じる必要がある。グローバルな知識ではなく、地域に蓄積されてきた知恵が必要なのである。
そのために、今こそ「人間とは何か」、「社会とは何か」、「文化とは何か」を根本から捉え直し、幸福な暮らしを地域の特性に従ってデザインしなければならない。日本人のアイデンティティは未だに国ではなく地域にある。それを担っているのは小中学校とお祭りである。今、人口の縮小によって毎年400を超える学校が閉校になり、担い手不足でお祭りの中止が相次いでいる。この事態は多様な生き方を支えてきた地域文化の消失を意味する。
薩摩会議は地域で活躍する若い世代の取組を紹介しながら、未来の生き方や産業の在り方を議論し、各地の文化の復興による地域おこしを目指してほしいと思う。世界でもこれだけ多様な地域文化や地域産業が生き残っている国は稀である。この試みはやがて世界のモデルとなると私は期待している。