最小限の必然性と
最大限の
偶然性下での
新たなビジョンと
個人の逸脱と変容、
共有と蓄積。
そして外圧による、変化。
成田 智哉
マドラー株式会社 代表取締役CEO
一般財団法人えぞ財団 団長
歴史というものは、宿命を兼ね備える。
過去の出来事の流れの中に今があり、そして今の先に未来を創る。
そうしたときに、あえて過去の言葉や問いを持ちながら、
その土地に根付く概念を掲げて活動を展開するには責任が伴う。
そんな取り組みが令和のこの時代に北から南から動き出している。
北海道の地で「北海道共和国」の樹立を叫び、既存の枠組みを「かき混ぜる」活動を推進している私にとって、鹿児島で開かれる「薩摩会議」は、単なるビジネスカンファレンスではない。それは、150年前の志士たちが命を懸けて対峙した「国家のあり方」という問いを、現代の文脈で再び攪拌し、具現化するための「共創の磁場」である。
「京都流議定書」という京都を軸にしたソーシャルカンファレンスで、北海道-秋田-鹿児島のプレイヤーでのセッションがきっかけで、SELF(薩摩リーダーシップフォーラム)の共同代表理事である野崎恭平さん・古川理沙さんと出会い、その次の春に初開催される薩摩会議に登壇を依頼されて鹿児島との出会いが始まった。
数年にわたり開催されるなかで、そこで得た最大の衝撃は、「最小限の必然性と、最大限の偶発性」という言葉だった 。目標を定め、逆算で管理しようとする「コントローラブルな世界」は、すでに限界を迎えている。むしろ、緻密な計画を手放し、関係者が場を共有し、セレンディピティに身を委ねた先にこそ、「出現する未来」がある 。その身体性を、私は鹿児島の熱気の中で確かに感じ取った。
150年前の「ビジョン」を今、どう書き換えるか
鹿児島という地は、150年ほど前に明治維新で辺境の地としての薩摩藩として、そこから大きなうねりを作り出した土地である。会議の通底するテーマは「150年後の世界に、何を遺すのか」である。2023年のセッションで、木戸孝允の末裔の方から投げかけられた問いが、今も私の胸を離れない。「幕末の志士たちは、攘夷(外国排除)が不可能だと悟った瞬間に、尊王倒幕という『新たなビジョン』へとシフトした。では、現代の私たちのビジョンは何か」と 。
かつての維新が「軍事」や「経済」による強国化を目指したのだとすれば、現代目指すべきは、中央からの分配を待つ「地方」という概念を破壊することだ。私は北海道で、自律分散型の廃藩置県の反対の廃県置藩のマインドセットを提唱している。それは単なる政治的な独立ではない。自分たちの足元で、自分たちの価値基準を再定義し、一人ひとりが「志士」として自立する「精神の独立」である。
U理論が解き明かす「場の力」と「攪拌」の意味
オットー・シャーマーのU理論に基づけば、薩摩会議の3日間は「共に感知し(Co-sensing)」、「共に出現させる(Co-creating)」プロセスそのものである。
2025年、再びこの地を訪れた私が確信したのは、鹿児島というフィールドそのものが持つ「変化を許容し、加速させる力」だ。Day1の抽象的な対話から、Day2の「超具体」なローカルセッションへ。私は2025年は甑島(こしきしま)の集落で、人口減少という抗えない現実に向き合いながら、そこから生まれる新たなコミュニティの形を模索した。 他所の「超具体」に触れることは、鏡を見るように自分自身の足元の本質を照らし出してくれる。北海道という私の本拠地を、どう「かき混ぜる」べきか。その答えは、いつも鹿児島の風土と人との対話の中にあった。
「行動すること」こそが、唯一の革命である
「革命は結果でしかなくて、自分の中の自分で決めたことにチャレンジし続けていること自体が尊い」。 薩摩会議で出会う仲間たちは、皆、行動者だ。頭で考える正解を超えて、一歩を踏み出す。「行動して、ちょっとずつ戦い、一緒に未来を変えていく」という、その泥臭いプロセスこそが、150年後の世界に遺せる唯一の遺産だと私は思う。
北の北海道と、南の薩摩。この両極から湧き上がる熱量が、150年ぶりに日本を攪拌し始めている。境界を溶かし、未知なるものを混ぜ合わせ、そこから生まれる新たな「公(おおやけ)」を共に創り上げよう。私たちの「マジ革命」は、今ここ、鹿児島の地から再び加速する。