狂気と熱狂の薩摩会議は
未来の希望だ
但馬 武
fascinate株式会社 代表取締役社長
そもそも鹿児島に対しては苦々しくおもう対象だった。父が鹿児島出身で母はポルトガル人。日本とポルトガルの戦後の初めての国際結婚ということもあってか、父の故郷では母は家の敷居を跨ぐことが出来なかったらしい。母はものすごく腹が立ったらしく、ラテン系の気質の通りにそのときのことを何十年が経過しても昨日のことのように怒っていた。そんな言葉を聞いて育った私は、「なんて鹿児島は野蛮な土地なんだ!」と長らく思っていたのは事実。
そんな鹿児島が身近になったのはSELF代表の野崎恭平くんとの東京での出逢いから。彼が鹿児島に戻り薩摩会議というのを始めるらしいと知り、寿長の終わりが近い父の帰省を兼ねて薩摩会議へ参加したことをきっかけに、縁遠かった存在が急速に近くになった。ここから私と鹿児島の物語は大きく進んでいった。
私の仕事は愛される企業/Lovable companyを増やしていくことだ。色々な地域を巡り企業を見つけては探究し、要素分解をする。そしてそれをまた他社に展開できるように伴走している。地方にある企業にはそのような愛される企業が多いとはおもっていたし、鹿児島にもそのような企業があることはなんとなく想定していたが、心の距離が大きくあった鹿児島には近寄りがたく。そしてついに薩摩会議をきっかけにドキドキしながら40年ぶりに帰省して見たのは、狂気と熱狂の世界だった。
この活動が民間だけで行われていることに驚愕するが、どの鹿児島企業も自社の存続ではなく、鹿児島や強いては日本の未来を憂い、いま自分たちができることをまるで明治維新の頃の志士のように真剣にジブンゴトにして考えている。どのひともチャーミングでありひとを魅了するなにかがある。
「150年後の世界に、私達は何を残すのか?」
この問いはとてもパワフルだ。鹿児島に住まうひと、事業を営むひとだけじゃなくて、この問いに引き寄せられるように日本全国から人が集まる。もしかするとここまでは一般的なカンファレンスと同じじゃないか?といえるかもしれない。しかしここからが薩摩会議が独特である所以だ。そこには狂気と熱狂がある。
なぜそうなるのか?ここは一言では表すことができない。ひとついえるのは、ひとは希望を感じたくてもがき苦しみ、そのさきに薩摩会議にその光をみにきているのではないか。その光を誰よりも信じている鹿児島のメンバーがいて、そしてそこに魅了されて県外のメンバーも信じることができるようになる。そこから共鳴が起こる。
音は波のようなものだ。さざなみのようなときもあるし津波のように大きくインパクトがあるようなときもある。その波に乗るか避けるかはその人次第。そしてその波にのったとしてどこまでいくかもその人次第だ。
鹿児島との付き合いも3年を超えて、どの地方よりも身近になってきた。自分のなかにある未来への願望には熱狂しているが、日本社会のなかでそれを実現するには何度も挫折を繰り返してきた。そのなかで、薩摩会議そして鹿児島には間違いなく希望を感じている。
父は戦後まもなくポルトガルにわたり、日本の未来を幸せにする事業を取り組んできた。そして大恋愛を通じて私が生まれるにいたったわけだが、当時の世界からみれば決して普通の取り組みではなく狂気じみた沙汰だったのだろう。自分の人生にそのような文脈があることはなにか嬉しくもあるし、楽しくもある。
希望を胸に狂気と熱狂を通じて150年後からみて良い祖先となれますように。