地に足のついた希望
吉備 友理恵
株式会社日建設計イノベーションデザインセンターアソシエイト
鹿児島との出会いは、「共創」の現場から始まった。
私は日建設計という、建築や都市のデザインを行う会社で、1人でも1社でも取り組めない複雑な課題に、時間軸の長いアプローチで向き合う共創プラットフォーム「PYNT」を運営している。
鹿児島とのご縁は、その活動の一環として立ち上げた「FUTURELENS」から生まれた。地域の社会起業家が持つ“未来へのレンズ(視点)”を社会にひらき、実装へつなげていくためのFUTURELENSのプログラムに、鹿児島県日置市の老舗企業であり、薩摩会議のメンバーでもある小平さんが応募してくれたことがきっかけだ。以前から薩摩会議の存在は知っていて、いつか行きたいと思っていた。偶然の重なりから、恭平さんにも出会い、今年が行くタイミングだと参加を決めた。
初めて参加した薩摩会議2025では、驚くほど自然に「100年後に何を残すか?」という問いが交わされていた。長い時間軸を当たり前に語る人たちが、そこにはいた。最初は少し不思議だった。「なぜ、この問いに違和感がないんだろう」と。
その答えを、私はまちを歩く中で見つけた気がした。
薩摩会議の1日目の朝、少し早く起きて、まちを歩いた。甲突川沿いの緑地を歩いていると、薩摩藩の教えが並ぶ場所があった。入り口と反対から歩いていた私は特に観光名所とも知らず散歩の中で歴史に触れることになる。気になった言葉をいくつかメモした。
「古の道を聞きても唱えてもわが行いにせずば甲斐なし」
「理も法も立たぬ世ぞとてひきやすき心の駒の行くにまかすな」
明治維新の混乱期と、いまを重ねて読んだ。「揺らぐ時代の中だからこそ、簡単な方に流されるのではなく実践するのだ」そんな風に教えを受け取って、妙にしっくりきた。
そして同時に、「こうした言葉が、まちの日常の場所に残されている」という事実そのものが心に残った。時間の話を違和感なく語れる土台は、こうした積み重ねの中にあるのかもしれない。
私は普段、まちを「社会環境」として捉えている。社会環境とは、人のふるまい・コミュニティから、モノやサービス、空間やインフラ、産業や金融、制度や政策まで、複数の時間軸や関係者の異なるレイヤーが重なってできているものだ。社会課題が複雑になった今、ひとつの正解や、ひとつの主体で解ける問題は少ない。だからこそ、異なるレイヤーをまたぎ、異なる専門性を束ねて、試しながら前に進む「共創」が必要になる。
鹿児島は、そんな共創の土台がすでにある気がした。
鹿児島の持つ雄大な自然資本は、暮らしや観光の魅力であると同時に、エネルギー、食、災害、健康といった様々なテーマとつながっているし、南北に長い地理がもたらす多様性は、地域ごとに異なる課題と可能性を生む。そこに、明治維新の志と変化をつくってきた歴史や文化が重なる。SELFが掲げる「地に根ざしたイノベーションが集積する『未来創造のフィールド』」という言葉が、抽象的なスローガンに聞こえないのは、その土台がすでに土地にあるからだと思う。
そして、もうひとつ。
薩摩会議で私が強く感じたのは、熱量が「点」で終わらないことだった。ひとつの挑戦が、別の挑戦を呼び、まちから周辺へ、島々へ、次の担い手へと波紋が広がっていく。エネルギーが好循環している感じというのか。
そこで私が感じたのは、「地に足のついた希望」だった。
それは根拠のない楽観ではない。歴史が残した言葉がいまの選択を支え、関係性があるから小さな実践が続き、別の場所へ渡っていく。思いつきではなく、実践が積み重なる。だからこそ「100年後に何を残すか」という長い問いが、現実のテーマとして語られるのだと思う。
薩摩会議には、さまざまな領域の実践者が集まる。けれど議論は専門領域ごとに閉じない。医療や福祉、一次産業、エネルギー、教育、観光、入り口は違っても、「自分の持ち場」を超えて社会の変容に向かってどう動けるか、という議論になっていた。
SELFは、こうした希望を“特別な出来事”にしないことを支えているのかもしれない。土地の資本と文化を土台にしながら、出会い直しと学び合いを繰り返し、実践が次の実践を呼ぶ循環を、プロジェクトとして増やしていく。
縁のなかった鹿児島の地だった。
けれど、そこにいる人と、そこに積み重なった歴史に心を動かされた私は、きっとまた鹿児島の地を踏む。次に来るとき、私はもう少し濃いかかわりを持った人としてここに立ってみたい。そんな想いでこの文章を書いている。
このフィールドで、どんな問いが生まれ、人が出会い、どんな実践が連鎖していくのか。100年後に何を残すかという問いは、薩摩会議から持ち帰って、いまも私の中にある。