SOILの始まりに寄せて

藤岡 聡子

診療所と大きな台所があるところ ほっちのロッヂ 共同代表

医師でも看護師でもない自分が、診療所を始めるなどとは思ってもこなかった。医師の娘として生まれ、10代に入った時にその父を亡くし、そして自分が母親になった時、看護師だった母を亡くした。父を見送るときに何もできなかった大きな喪失と絶望と、繰り返し自分に放った無力な自分への怒り。母を見送るときには余計に寂しさが募りむきになって全て私がやらねば、と当時0歳だった長男を抱えてあれやこれやと揃えに走ったことを思い出す。そんな長男が13歳になった今、振り返れば、家族という機能、社会という機能、医療という機能に対し何も言葉を携えてこれなかったが、「こんな状態であればいいのに」という祈りに近い感覚をずっと抱いてきたように思う。

「「機能」とは、言葉に尽くせる説明可能な認知的な事柄であり、「祈り」とは言葉には尽くせない、説明困難な非認知的な事柄だ。」北極冒険家で「冒険研究所書店」店主の荻田泰永は『書店と冒険(2022)』においてこう語っている。暮らしにおいて言葉にできる機能は必要だが、それだけでは人の暮らしやいのちの支えの彩りは増えてはこない。機能的で利便性が高く合理的に説明できる都市と、歴史と営みと人間関係が交差する地方・地域の対比のようにも聞こえてくる。
私は、家族、社会や暮らし、医療のレイヤーでさえも、機能と祈りが互いに応答するように在る世界線を欲したい。

人は、自分の大切な人のいのちの終わりを身近に感じる時、ただひたすらに目をつむるように祈るように1日1秒を数えて過ごす。何気ない陽の光にありがたさを覚え、普段気にも止めなかった庭の雑草の荒れ具合に眉をしかめる。夜眠りにつくときには明日の平穏さを願うが、明日はあの人はおわりに近づいていくのだと覚悟を決めなければならない刹那に襲われる。そうしてその日をいつか迎える。
そして、あの人がいない日々が始まりを告げ、日常を重ねていく様は、見ようによってはその人は受け入れているように見えて、実は多層であり、非常に奥行きを持つ。ある日は日暮れと共に涙が止まらず、ある日は嬉しくてたまらず笑いが止まらない。でも、あの人がいない日々を送っていくことには間違いはない。
ケアの現場では、こうした人たちの機微に多く触れる機会を持つ。症状や状態、年齢に関わらず、その人だけが持つ感情の奥行きと日常の送り方がある。1人として同じ見送り方はなく、その瞬間はまるで永遠かのように、その場にいる人間は首を垂れる。

人は、人を失うことに慣れもしないし、上手にもなれやしない。機能だけで完結するいのちの終わりは、ないはずだからだ。

この社会も、そしてひとりの人間も、いずれいのちを終える時が来るならば、静かな境地をおそれずに共に迎え、それを愛しむようなことがもっと手元にあればいい。そしてそれは、もっとケアの現場を構える人たちが捉える視点も、立体化され、地域と共にあればなお、私たちはそれに手をかけることができるのではないだろうか。その行為はいつか、必要な機能と人の祈りが互いに応答するような関係性に手をかけることができるのではないか。

鹿児島、そして薩摩会議に立脚する人たちと多くの言葉を交わし始めたこの数年で、私の中に大きな変化が生まれた。自分の診療所という小さな点づくりから、人口2万人の人の暮らしを支える医療・福祉資源の再生に携わることに腹を括ったのだ。聞いた時にはなぞるだけだった「150年後の未来」という言葉は、いつしか言霊のように私を貫き、その年数が経過した時には機能と祈りが実現する一手を担うまでになりたいと知らしめさせてくれた。

100通りのいのちの終わり方を知ってなお、いのちを支え続ける。慈しみ、溢れ出る泉のように躍動する現場づくりが、静かに下山へと向かうこの日本において灯台となるように。小さな変容をここに誓いたい。