なぜ、鹿児島へ越境すると
「ナス」がおいしくなるのか?

原田 未来

一般社団法人越境イニシアチブ 代表理事

「お客様扱いしない」関係性が、
越境先として選ばれる地域をつくる

「お弁当に、私の育てたナスが入っています。おいしく召し上がってください。」

これは、2025年9月22日、薩摩会議2日目の昼に発せられた古川立夏さんのコメントだ。中学3年生の彼女は、NPO法人薩摩リーダーシップフォーラムSELF代表理事の一人、古川理沙さんのご息女で、耕作放棄地を再生させる活動を行っている。この言葉が、薩摩会議の会期中を通じて最も私の心に響いた言葉だった。(もちろん、知的な学びという意味においては、これ以外にも大量のものがあったけれど。)

「おいしく召し上がる」という言葉。都市に暮らしていれば、食べるという行為ひとつ取っても大量の選択肢がある。外で食事をするにあたって、日々私が意識するのは、いかに正しい選択をするかということだ。そのために口コミサイトをチェックし、見栄えやコスパを気にし、挙げ句の果てにはその選択の良し悪し(あそこはおいしかったとか、イマイチだったとか)を論じる。

それに対して、「おいしく召し上がってください」という言葉は、完全にこちらに委ねられたものだった。「おいしく食べられるかどうかは、あなた次第だよ」と言われたような気がした。もちろん、そこに高圧的な感じは一切ない。お弁当にナスを入れることができたという清々しさと共に渡された言葉だった。

自己紹介が遅れたが、私は一般社団法人越境イニシアチブという団体の代表として「越境」を社会に広める活動をしている。越境とは「日常的な環境(ホーム)を離れてアウェイを経験すること。その経験を通じて、個人や組織が学び、成長していく営み」のことだ。

今回、友人である野崎恭平から「今の鹿児島」を語れとご依頼を受けてこの文章を書いているわけだが、私の立ち位置から鹿児島を語るならば、アウェイとして、つまり越境の舞台として紹介するのがよかろうと思った。

そして、鹿児島での経験に思いを巡らせているうちに、冒頭のエピソードに、越境先としての鹿児島の魅力が詰まっていると気づいた。具体的に言えば、それは「人なつっこさ」と「自信」である。その2点について、考えてみたい。

今、行政による支援制度も増え、副業やボランティアなどを通じて地域と関わりを持つ越境人材が増えつつある。多くの地域が、都市部からの越境人材に期待をしている。ぜひ自分たちの地域に越境してきてほしい。一緒に地域を盛り上げてほしい、と。

ただし、人材に選ばれるには、越境先としての魅力が必要になる。魅力とは、良い経験ができるという期待値である。そのために、受け入れる側(アウェイの立場)で工夫できることは何か。それは何より、「お客様扱いしないこと」だ。越境する側はアウェイの環境に対して不安を感じる。それに対して受け入れる側が、「よそ者」として線を引いてしまっては、交わるものも交わらない。

その点において、鹿児島の人たちは、とにかく人なつっこい。冒頭に紹介した古川さんのコメントのように、無邪気に何かを問うてくる。この原稿だって、恭平くんが1週間という納期でニコニコ依頼してくる。打ち上げやるから来ない?って普通に誘ってくる。(鹿児島まで何時間かかると思っているのだ笑)だから、ついついノってしまう。私も人見知りの部類に入るはずなのに、結果的に鹿児島に行く頻度が増えている。

そして、この「人なつっこさ」の裏には、もう一つの要素、彼らの「自信」が見え隠れする。一生懸命ナスを育てた矜持、とでも言おうか。

最近機会を得て、いろいろな地域を訪れるのだが、よく「自分たちの地域をどうしたらよいか」という議論になる。しかし、鹿児島、こと薩摩会議の場においてはそうではない。そこで語られるのは「社会を、環境を、どうしていくか」「未来をどうつくっていくか」である。

極端に言えば、「自分たちの地域」の課題に対する答えを、他者には求めていないように見える。自分たちは社会や未来に対してこういう志を持ち、こういう活動をしている。ただ、それが語られる。そして、鹿児島に関わってほしいなどとはおくびにも出さず、私たちに問うてくる。「それで、あなたは何をするのですか?」と。

だからこそ、越境先としての価値が高まる。それは、「鹿児島の人 対 越境者」という構造ではなく、その場に集う人たち同士が課題やテーマによって繋がっていくということだ。この特性によって、越境を通じた出会いが圧倒的に多様になる。このような広がりは、テーマが地域に閉じていては決して生まれない。

そして、それを最も象徴しているのが薩摩会議の3日間である。多様な繋がりに引き寄せられ、500人近くの人が鹿児島に集う。そして、一人ひとりが、問いを持って時間を過ごすのだ。

彼らのしたたかなところは(狙っているのかどうかは知らないが笑)、その答えを探求する舞台として、鹿児島に関わることが最適なのではないかと思わせるところにある。「人なつっこさ」と「自信」のバランスにやられるのだ。

私もしばらく、越境先としての鹿児島から抜け出すことは難しそうである。