150年後の未来へ。
対話を通して生まれたエコシステム
野崎 恭平
musuhi 代表取締役CEO / SELF 共同代表理事
「150年後の世界に、
私たちは何を遺すのか?」
問いとの出会い

musuhi と SELF
僕たちmusuhiは「想いと未来を むすびなおす」を掲げる対話の専門家集団「ダイアログファーム」として活動しています。具体的にはファシリテーションや場のプロデュースを通して、企業向けの人事・組織系のコンサルティングや、自治体のビジョン策定支援、学校向けの探究学習プログラム事業などを行う組織です。
対話というのは、何かと何かに橋をかけて、一緒になって共有できるビジョンを生み出したり、そのための実践を後押しするような行為。それを企業など一つの組織の中で行うこともあれば、自治体で行う場合もあります。
じゃあ同じことを鹿児島という大きな単位でやってみたらどうなるだろうと始めたのがSELFだとも言えます。県内の企業や地域のリーダーがつながりあって、民間レベルで「鹿児島の未来をどうつくっていくか」を考え、実践していこうと。そのために2020年、NPO法人薩摩リーダーシップフォーラムSELFを立ち上げました。

ふり返っている場合じゃない
僕がUターンで鹿児島に帰ってきたのが、2015年。はじめに行った大きな仕事が「鹿児島未来170人会議」でした(*1)。県の事業で、170人ほどが集まって鹿児島の未来を語り合い、各自が一歩を踏み出すためのイベントです。musuhiもSELFも元をたどれば、ここが起点になっているかもしれません。
ちょうど同じ頃、明治維新150周年を控えていた時期で、後のSELF代表理事のひとり須部貴之さんのご縁で、西郷隆盛さんのご子孫を交えて何か盛り上げられないかと有志で話し合う場があったんです。ところがその場で「いまさら150年前をふり返っている場合じゃない」と言った人がいて。坂口修一郎さんです(笑)。「その時にできた近代の社会システムがあるから今の課題があるわけで。もし西郷さんが生きていたらもう一度この国をつくり直すと思うけどな」と言われました。なるほどと。その場はそれで終わりましたが、すごく面白い方向性を得た気がしたんです。
もし西郷さんたちがこの時代に生きてたいら、どんな国をつくるんだろう?その問いが強く残りました。これが後のSELFの「150年後の世界に、私たちは何を遺すのか」につながっていきます。
たどり着いたヒント
それからの二年間は、問いの答えを求めて、須部さんといろんな方に会いに行ったり、本を読み漁りました。
まず、本で大きな示唆を得たのが、オットー・シャーマーの『出現する未来から導く』です。ここに「いまの社会、エコシステムは地球規模でつながり合っているのに、それぞれが部分最適を追求した結果、全体としては良くない方向に向かっている」という指摘が書かれていました。その解決のためには「利害関係者が集まり、対話を通じてともに新しい可能性を見出し、創造していくための新しいインフラが必要になる」と。
これが大きなヒントになる気がしたんです。鹿児島を一つの生態系、エコシステムととらえると、それを構成する県内のさまざまな人たちが集まって未来を探求できる場をつくれたら、問いの答えが見つかるんじゃないかと。どこかにすでにある答えを見つけるというより、対話を通して生み出していくといった方が近いかもしれません。ここから共有できるビジョンをみんなでつくることを考え始めたんです。

主要プレイヤーは地域の企業だ
企業をもっと巻き込みたい
鹿児島で共有できるビジョンをつくるという目的のために「こんなことをしたい」という漠然としたアイディアを書いた企画書をもって、県内の「この人は」と思う方々に片っ端から会いに行きました。この時期に出会った人たちの多くが、後のSELFのメンバーになっています。
門田晶子さんという老舗印刷会社の3代目や、鹿児島銀行でスタートアップ支援をしていた山内倫裕さんなど、いろんな方を紹介いただいて、構想を話してまわりました。最初は何のことかよくわからなかったと、後から笑い話にされることも多いんですが(笑)。
この動きのなかで最初から大事にしたいと思っていたのが、地場の企業や地域を引っ張っているリーダーたちを集めることです。
その背景には、僕が鹿児島へ戻る前、東京で社会企業家の育成支援に携わっていた経験が影響しています。ISLというリーダーシップ教育・社会啓発を目的とした特定非営利活動法人(NPO)で働いていて、「社会イノベーター公志園」というプロジェクトの立ち上げに携わりました。
いわゆる社会企業家と呼ばれる人たちは理念や熱意はあっても、資金やネットワークが十分でないことが多い。そこで彼らと、すでに企業で社長や経営幹部になっているようなISLの卒業生をマッチングするのが「社会イノベーター公志園」の目的でした。
企業の経営者を育てるだけでは社会は良くならない。でもソーシャルビジネスの理念だけでも世の中を変えられない。だからいま地元で活躍する企業が主体となって、鹿児島の未来を考えるのが一番いいのではないかと考えたんです。
「地域企業が、地域を一番に考えてきた」
もう一つ、そう考えるようになったきっかけがあります。SELFの立ち上げ前に当時のMBCテレビの社長、中村耕治さんにお会いする機会があったんです。中村さんといえば鹿児島の経済界の、ある意味ドンのような方。その方に「地域の企業がもっと地域にコミットできるようになったらいいんじゃないか」と話したところ、すごく怒られたんです。
「俺たち企業こそが、地域のことを一番に考えてきたんだ」と。
それまで僕は東京で仕事をしてきて、いわゆる大企業に代表される経済界と、ソーシャルの世界は別ものだと思い込んでいました。でも鹿児島の企業をみると、戦後の復興の中で生まれた企業も多く、マーケットも地元なわけで、そもそも地域と切り離せない存在なんですね。これは自分の中で大きなパラダイムシフトになりました。
つまり鹿児島の未来を考える上で、地場の企業は欠かせない。それが必須だと再認識したってことです。

本来つながっているべき
関係性を取り戻すために
つながり合えていないことへの嫌悪感
そもそもなぜ僕がこうした人事や組織系のコンサルの仕事をしているのかと考えると、幼少期の体験が大きく影響していると思っています。
共働きの家庭環境だったことから、十分に愛情を感じにくい幼少期があって、そのぶん他の人たちから愛情を得ようとしてきたんですね。誰とでもすぐに仲良くなれる子どもでした。商店街のあちこちに居場所があったし、みんなが怖がる八百屋のおじいちゃんともすぐに仲良くなれたり。それが自分なりの生存戦略だったんでしょう。
今、人事コンサルの仕事でいろんな人と関わり、関係性を築いているのは、幼い頃からやってきたことの延長線上にあるのではないかと感じることがあります。
その根底には、本来つながっているはずのものがつながり合えてないことへのいらだちや嫌悪感があるんです。人間って些細なすれちがいで望んでもない関係性になったり、言わなくてもいいことを言ってしまったりするじゃないですか。
本来つながっているはずのものが分断されていると、なんとかしたくなるんです。大人になっても、おのずと人をつなぎ直そうとしてしまうのは、自分がそうした関係性を世の中に求めているからだと思います。

自己の境界を超えたところでしか、
人はつながり合えない
誰でもピュアな自己を内に抱えているはずなんです。でもトラウマや背負いこんだものがあると本来の姿が見えなくなってしまう。その障害が解消されてはじめて、本来の姿や、その人が実現したい未来が見えてきます。
「個」がひらかれていなければ、集団においても垣根をこえて一つになれることはないし、組織に一体感が生まれることもないと思うんです。自己の境界を超えたところでしか、人はつながり合えない。
U理論(*2)には、小さな自己と大きな自己という概念があります。私たちは「自分はこういう人間だ」と思い込んでいる小さな自己にとらわれがちですが、本来の自己はもっとひらかれていて、他者や全体とつながろうとする。小さな自己「self」から、大文字のSで表現される大きな自己「Self」へ発展していくプロセスが人生だとさえ思っています。
たとえば、僕たちが行っているSELF合宿でも、参加者が「自分はこうだ」と思い込んでいる自己イメージが、場の中で少しずつ揺らいでいく。自分をより大きな存在として感じられるようになっていくような変化を起こしたいと思っています。
(*2)U理論は、オットー・シャーマー氏が提唱した変革の理論で、個人や組織が過去の思い込みを手放し、深い洞察を通じて未来を共創するプロセスを示す。「観る」「感じる」「手放す」などのステップを経て、新たな可能性を引き出すアプローチ。

SELFの進化。
「SELF合宿」「薩摩会議」を通して
個人の変容から企業、社会の変容へ
合宿の形式を思いついたのは、今回のワークショップで講師を務めてくださった小田理一郎さんが主宰されている清里合宿に参加したのがきっかけでした。清里合宿とは、日本中から持続可能性をテーマに知見をもつ人たちが集まって、寝食をともにしながら話し合う場。このスタイルにインスピレーションを得て、同じことを鹿児島でもできたらと、招待制でSELF合宿を始めました。
合宿は個人の変容を目的とした場。会社や代表といった普段の立場をいったん置いて、個人として参加していただく。対話を通して自分自身を見つめ直し、どう社会と関わっていきたいのかを探究する、そんな時間になればと思っています。
手探りでのスタートでしたが初年度は25人が参加してくれて、2年目には50人、3年目はオンラインで100人…と増えて、昨年の屋久島では県内外から100人が集いました。
SELF合宿が経営者個人の変容の場だとすると、薩摩会議はその経営者同士が集い、未来について話し合う場です。その求心力で全国から最先端の知見をもつ人たちに集まってもらい、「鹿児島って面白い」という気運を生み出していく場でもある。
さまざまなセッションを設けて議論や対話を重ねるなかで、ここならではの新しいビジョンが見えてきます。そこを起点に県外と地元の事業家、企業とのマッチングが起こり、各エリアを舞台に新たな事業やプロジェクトが次々と生まれていく。そんなうねりを起こせたらいいなと考えていました。

SELFを通して起きた目に見える成果
ここまでやってきて成果と言えるのではないかと思うのは、最近、鹿児島発で全国的な事例になるプロジェクトが増えていることです。
たとえば、古川りささんの新留小学校の立ち上げ(*3)は、りささんがSELFを通して丑田さんや多くの方との出会いがあって今の形に発展したものです。最初の合宿から話されていた構想が、全国から応援される大きなプロジェクトになっています。
ほかにもSELFや薩摩会議がきっかけで鹿児島に関わるようになった人たちはたくさんいます。いま小平株式会社で副社長を務める池田亮平さんもそうだし、ECOMMITに参画した山川咲さん、ほかにもプロジェクトベースで関わっている例を挙げればきりがないほどあります。
そしてもう一つ目に見えて大きな変化は、県内の事業者さんたちがここ数年で大きく進化していること。たとえばこの後のインタビューで紹介する小平さんや下園さんがそうですが、「この人たちの力になりたい」と思った人が、個人のレベルでも、企業としてもいきいきと変化してきているのが個人的にもすごく嬉しいことです。
次のステップとして大事だと思っているのは、そうした地場の企業がモデルケースになっていくこと。売上もそうだし、どんどん新しいことにチャレンジして優秀な人が集うようになるなど、成功例が目に見えるようになると、より広く伝播していくと思います。
(*3)鹿児島県姶良市の旧新留小学校跡地に2027年4月の開校を目指して設立準備が進められている小学校。地域と連携し新たな学びの場を創出するこのプロジェクトは、全国のモデルとなることを目指し、クラウドファンディングなどで支援を募っている。

より進化した地域共創エコシステムへ
10エリアで分散開催した薩摩会議の意味
じつは一昨年から去年にかけて、薩摩会議 をどうしていくかすごく悩みました。全国的に地域を舞台にしたカンファレンスが増えて、改めて鹿児島でやる意味ってなんだろうと。
それで行き着いたのが「鹿児島という地に根ざす」ことです。ビルの中で議論するだけなら東京でもできる。でも鹿児島には地域ごとに個性豊かなフィールドがあって、地元の人と外の人が交わり、具体的なアクションを起こせる舞台があります。
そこで昨年の薩摩会議は、県内10か所のエリアで分散開催しました。
鰹節で有名な枕崎市や、サーキュラーの先進地である大崎町、自然遺産の屋久島など、それぞれが独自の歴史や文化をもつエリア。そこで地元のプレイヤーが主役となって外部からゲストや専門家を招き、各フィールドに巻き込んでいくしくみです。
受け入れる側に物理的なフィールドがあることで、より具体的にダイナミックに物事が考えられる。それが外から訪れる人にとって面白いのではないかと思ったんです。たとえば日置市の小平さんには湯之元というフィールドがあって、市長とも一緒に動いているし、地域を自分ごととして考え、実際に動かせる可能性をもっています。
そんな風に中と外の化学反応がどんどん起きていくのが、薩摩会議の醍醐味で、目的の一つでもあるんじゃないかと。
鹿児島県は広いですが、昔の薩摩藩とほぼ範囲がほぼ変わらないことから、一つにまとまりやすい土壌でもあります。個性豊かなエリアが共存しながら同時にお互いがつながっている。10ヶ所それぞれがテーマを打ち立てて同時開催できるなど、鹿児島でしかできないんじゃないかと改めて感じました。

6つのステップで「地域共創エコシステム」をめざす
いま目指しているのは、多くの企業が参画できる企業コミュニティをつくることです。「地域共創エコシステム」とも呼んでいます。
鹿児島全体を対象に企業コミュニティを創出していくために、僕らは、6つのステップで事業を進めています。まず第1のステップとなるSELF合宿では、先述したように地域企業の経営者に「個人」として参加してもらい、各自のビジョンの拡張を目指します。ステップ2にあたる薩摩会議では、そうした経営者が集うことで「鹿児島が面白い」という気運を醸成し、全国から人が集う流れをつくる。そこで新たなビジョンが生まれればさらに新しい事業やプロジェクトが生まれていく。その土壌をステップ3として「SOIL」と呼んでいます。
それ以降、個々の企業にmusuhiとして人事や組織の面で伴走支援をするのがステップ4。共有できるプラットフォーム型の人事部をつくるのがステップ5、地域企業と次世代をつなぐしくみづくりをしていくのがステップ6。これら一連を通して、企業コミュニティを発展させていこうと。
地域全体で人や資源を共有し、新しい挑戦を応援しあう。それができるのは、鹿児島にここ数年で生まれている、つながりと多様性のおかげです。僕たちは、このエコシステムをさらに育て、地域企業が次世代とともに成長できる未来を目指したいと、本気で考えているんです。
