丸干しの伝統を超えて。イワシの食文化を世界へ

丸干しの伝統を超えて。
イワシの食文化を世界へ

下園正博

下園薩男商店 代表取締役社長 / SELF理事

イワシの丸干しを次世代に

下園薩男商店は1939年創業、鹿児島県阿久根市に本社を構える水産加工販売会社。主力商品のイワシの丸干しを全国に展開し、「旅する丸干し」やクラフトコーラなど独自の商品開発にも力を入れている。2017年には「イワシビル」を開設し、ショップ・カフェ・ホステルを運営。地域資源を最大限に活かし、伝統を守りながら新たな挑戦を続けることで、地域経済の活性化と持続可能な発展に大きく貢献している。

なぜ丸干し屋を継いだのか

 阿久根は​鹿児島でも​西の​端、​東シナ海に​面する​イワシの​産地です。​近海で​穫れるウルメ​イワシは​脂がのりにくいのが特徴で、カリカリに乾燥させるような丸干しに​向いているんです。
 下園薩男商店は創業以来イワシの丸干しの製造販売を主にして、大手スーパーや量販店に卸してきました。祖父は「丸干しが世界で一番偉い職業だ」と本気で思っていたような人でしたが、父は事業に将来性を感じていなかったので、跡を継げと言われたことはありません。
 自分も継ぐつもりはなくて、大学卒業後は東京のIT企業に勤めました。学生時代は金持ちになって早期リタイアしたいなんて考えていましたが、いくらお金があっても、やりたいことがなければ人生つまらないんじゃないかと思うようになったんです。大変だったとしても自分にしかできないことをするのが一番面白そうだなと。それが自分にとっては家業だったんですね。
 その後、水産加工の会社で5年間修行して2010年に帰ってきました。
生まれた時から近所の人には「薩男さんのお孫さん」「丸干し屋の息子さん」と言われて育ち、ここが自分の居場所だという感覚はあったし、祖父に「お前は長男だからゆくゆくは継いでもらいたい」と言われたのも覚えていて。
 だから丸干しは単なる仕事というより、自分のアイデンティティのようなもので、未来に残さなきゃいけない使命感みたいなものが根っこにあったんだと思います。

「旅する丸干し」の開発

 ただ最初から、将来丸干しは厳しくなっていくだろうと想像できたので、それをどうにかするのが自分の仕事だと考えていました。
 戻って初めに携わったのは鯖のみりん干しです。ほかにも鯖の味噌煮など新商品の開発をしてきましたが、なかなかうまくいかなくて。2年ほどセミナーに通ったり、ブランディングやマーケティングの本を読んだりして勉強しました。
 そんな時に県の「鹿児島産業おこし郷中塾」という若手経営者セミナーに誘っていただいたんです。スパイラルのプランナー松田朋春さんが講師で来られていて、丸干しのオイル漬けを洋風にしたいと相談したら最初は「丸干しはやっぱり和風じゃないとダメでしょう」と言われましたが、何とか洋風でいきたいんだって話して。
 そこでできたのが「旅する丸干し」です。
 今の30代、40代には丸干しという言葉すら知らない人も多い。だからまずは丸干しを知ってもらう必要があると思ったんですね。
 はじめに手応えを感じたのは、イオンの販売会です。普段は干物などを持っていっても1日3万円ほどしか売れないところ、この商品が6万円も売れて、若い人たちに反応がよかったんです。これはいけるんじゃないかと。
 その後も元料理人のスタッフが入り一緒に商品開発を続けて、焼き海老を使ったパスタソース「旅する焼き海老」をつくり、新人の女性を一人採用して他にも多くの商品開発をする流れを育ててきました。

「旅する丸干し」と
阿久根の複合施設「イワシビル」

「旅する丸干し」が
切り開いてくれた新しい販路

 じつはイオンからも「旅する丸干し」を扱いたいと言われたことがあります。でも1本800円の商品をイオンでは買う人は少ないだろうし、何百店舗分をつくることもできないと思い一度はお断りしたんです。代わりに普通の丸干しを提案して、HACCP(*1)の取得や衛生管理の取り組みを説明したところ興味を持ってくれて、今まで九州や近畿の一部だけだった取引が、全国展開になりました。
 面白いのは、興味をもってくれた理由が、丸干し文化の未来を見据えた話ができたこと、だったんです。イオンの本社がある千葉県にも丸干し屋さんはありますが「何匹いくらで出せばいいか」という話に終始して「30年後の丸干しをどうするか」といった話にならないと。これは、自分にIT業界や水産商社での経験があったことと、市場から小売、消費までの流通全体が見えていたからだと思います。
(*1)HACCP(ハサップ)は食品の安全管理のための管理手法。国際的に評価されているシステムで国や地域でHACCPに基づいた認証制度がある。

イワシビルを始めた理由

 いつか「旅する丸干し」を売る直営店をつくりたいと思い、旅する丸干しの製造責任者である大薗勇樹とも話していました。
 というのも、お店があるのとないのとで、商品に対するイメージの持ち方が違うと思ったんです。たとえばスターバックスのコーヒーはコンビニにあってもスターバックス。マウントレーニアとは違う印象があります。鹿児島の「すすむ屋茶店」などもそうですよね。
 「旅する丸干し」のイメージに合わせて、海が見える丘の上か何かにレストランを併設して…と勝手に計画していたんです。ところが父が突然、街のメイン通りにある空きビルを「安いから」と勝手に買ってしまって。もう仕方なく、そこでお店をやることに決めました。
 1階をショップとカフェ、2階を見学できる工場にして、3階は迷いましたが、ゲストハウスにしました。「旅する丸干し」の「旅」というコンセプトとゲストハウスの雰囲気がすごく合うなとも思ったんです。人口1万8000人の阿久根市にこうした複合施設をつくれば、メディアも注目してくれるんじゃないかなと。

世界に目が
向くようになったきっかけ

SELFの合宿に参加して

 阿久根に戻って最初の3年間は、僕は鹿児島ではほとんど交流がなかったんです。でもその後、郷中塾やSELFでの出会いを通じて、人とのつながりがどんどん広がっていきました。
 初めてSELFの合宿に参加したのは「ユクサおおすみ」の時です。参加者がペアになって話を聞き合う時間があって、その時の相手がmusuhiの大岩根尚さん。初めて、地球環境の実態を、しっかりしたデータを元に教えてくれました。
 それまで自分は環境問題って、誰かが儲けるために利用している話のようで、あまり好きじゃないなと思っていたんです。でもこのままいくと地球が人間にとってどんどん住みづらい環境になっていくことがわかりました。
 この時がきっかけで、事業においても世界を意識するようになりました。それまでは「都会のこういう店で売りたい」といった願望くらいはありましたが、日本のものがどうすれば世界に広がるのか、どうすれば自分の商品で世界の人たちがハッピーになれるのかといった視座でものごとを考えるようになったのは、この時からです。
 合宿の最後にみんな一言ずつチェックアウトした際、俺はこれから世界のために事業することを決めたとみんなの前で宣言しました。阿久根のため、自分の会社のためだけではなくて、世界中の人が喜んでくれるようなことを考えないとダメだと直感的に思ったんでしょうね。

イワシの丸干しの限界も
感じた5年間

 実際に魚が獲れなくなっていましたし、海藻が減っている海の状況からも実感がありました。100%環境のせいではないかもしれませんが、世界レベルで考えないとだめだという感覚が実感できたんですね。
 イワシの丸干しの売り上げも30年ほどかけてゆっくり下がっていくと想像していたんですが、ここ5年で急激に落ちていて。東京のスーパーにはもう丸干しは置いてなかったりするんですよ。
 そのためうちでは菌の検査をしたり、乾燥基準を変えたりして、今まで4週間だった賞味期限を3ヶ月に伸ばすなどさまざまな工夫をしてきました。
 でもコロナの頃に、日本全国でイワシがまったく獲れなかった年があって、スーパーの棚からイワシの丸干しがなくなったんです。スーパーの棚って、ある品がなくなったら別の商品ですぐに埋まります。丸干しの代わりにサバの干物が入ると次にまたイワシが獲れても、もう棚ができあがっているので、よほど売れるものじゃないと元に戻せない。
 丸干しを何とかするのが自分の使命だと思ってきましたが、この14年間で考えられることはすべてやり尽くした気がしたんです。これで無理なら、主軸を変えないといけない。
 ここ最近で大きく考え方が変わりました。マーケットがどんどん縮小していく分野で勝負するんじゃなくて、もっと広く「イワシ」という分野に特化した企業になろうと決めたんです。

「イワシの丸干し屋」から
「イワシ専門企業」への転換

イワシを専門に

 イワシに特化すると決めたのは、じつはつい最近、ここひと月ほどのことです。いくら丸干しが厳しいとはいえ、その後をどうするかと考えると、イワシビルのような店舗開発の会社にしていくのか、コンサル業に専念するかなど迷っていたんです。正直、イワシビルだけ残して工場を畳むことも考えました。
 でもなかなか腑に落ちなくて。いろんな人に相談にのってもらい話をする中で「イワシに特化する」という方向性が見えてきて。これがしっくりきました。
 たとえば同じイワシでも、煮干しは丸干しとは製造工程がまったく違います。いま日本の出汁文化は世界で評価が高まっていて、和食や「うま味」という概念とともに世界に出していける可能性がある。
 阿久根の丸干しは生産量が落ちていますが、対岸の熊本県牛深は煮干しの産地でそっちは伸びているんですね。ただ、産地としてのブランディングはまだできていないから参入の余地がある。
 出汁といえば、節も可能性があります。阿久根にはイワシの煮干しや節を作る会社が今は一軒もないですが、うちは既にHACCPの国際認証を取得しているし、台湾への直接輸出もできる。中国とベトナムの施設登録もされているので、これは強みになる。そう考えていくと「イワシ」の定義で事業展開していくのが、次のステップになるのではと思えたんです。

一度しっかり
売り上げを伸ばす

 ただ僕にしかわからない感覚かもしれませんが「丸干し屋」の看板を降ろすにはかなりの葛藤があったんです。「丸干し屋3代目の下園正博」だったので、自分のアイデンティティに関わるというか。今ある人生を一度捨てて、新たに生き直すくらいの覚悟が必要でした。
 いま、製造業は二極化しています。オートメーション化してボタン一つで何でもできる大規模生産型の工場か、家族経営で付加価値のある商品を少量生産するか。中途半端な規模がもっとも厳しくて淘汰されてしまう。今から、下園薩男商店で投資をして大規模工場化するかというとなかなか舵を切れなかったんですね。
 でも庄内の山中大介さん(*2)の動画を見て考えが変わりました。山中さんは地方でも「100億円企業を目指す」と公言されていて、それくらい規模がないと発言権もないし地域なんて変えられないと。本当にそうだなと思いました。
 薄々わかってはいたけど目を背けてきたというか、そこまでいくのが大変だし、売り上げ至上主義になるのも嫌だなというのもあって。いきなり大規模投資はできませんが、パートナーとともに量産も限定生産も両方やる。それが新しい食文化を作っていく道なのではないかと思っています。
 地域に関しては、実際まちづくりのようなこともやってきました。「まちの灯台阿久根」という会社を地元の企業と一緒に1500万円の資本金でつくって、道の駅の運営をしています。市からの委託事業で、売り上げた利益を町に再投資して、地域おこし協力隊のサポートも行ったり。それはそれで大事です。
 でもお店をつくって 何千万円か売り上げ上げたとしても、そう簡単に町が変わるもんじゃない。でも100億円の企業がどんとできると、それだけで町の風景が変わったりするんですよ。

(*2)実業家。株式会社SHONAI代表取締役。鶴岡サイエンスパークの開発、ホテル「SUIDEN TERRASSE」、児童施設「KIDS DOME SORAI」などをオープン。有機農業を軸とした事業や人材紹介事業なども展開している。

SELF、鹿児島内の
ネットワークのおかげで

俯瞰した目線を
もてるようになった

 日本が疲弊していく中で、食文化で世界に誇れる何かを残したいという気持もあります。とくに、イワシという日本の伝統的な食材に関わる者として、自分にしかできないことがあると思うようになりました。
 SELFではよく「150年後の未来に何を遺すか」というテーマが話題になります。それを考えるには、普段の事業を考えるより、もう一つ上のレイヤー、俯瞰した目が必要だと思うんです。
 自分も帰ってきてすぐの頃は丸干しをどうするか、下園薩男商店をどうするかということでしか考えられていなかったけど、SELFでいろんな人の話を聞いて少しは世の中を俯瞰して見られるようになったと思っていて。俯瞰して見るというのは、長い歴史の中でみるという時間軸と、自分のテリトリー以外の分野で起きていることも含めて、考えられるようになるってことです。何千年という歴史でみれば、下園薩男商店があろうがなかろうが些細な問題かもしれない。
 もちろん、目の前の事業も大事だけど、理念と事業の両方から見て納得できる内容になっていないと生き残れない時代になってきている気がします。なんて言うんだろう、もっと世界的に見て考えないと、小さなエリアで成功しようがしまいが、 世の中に与えるインパクトは小さいし、何も変えられないってことですね。

世界で日本の「食」が
もつアドバンテージ

 たとえば丸干しって魚の命全てをいただくことなので、日本の「いただきます」の精神に合致する食べ物です。商品を売るだけじゃなく、「魚の命全てを感謝していただく」という考え方も合わせて世界に発信できたらもっといいなと。そんな発想ができるようになりました。
 日本食の可能性に気付いたのも、山中さんやチイキズカン(*3)の坂本大典さんとの出会いが大きくて、それも薩摩会議からの流れです。
 山中さんと直接お話した時、「これから日本が世界に進出するなら『食』だと思う」と話されていて。実際、山中さんもお米をパック加工したりして海外輸出するのを目指されています。そうすることで利益も上がるし、日本の価値も高められる。「同じことを魚でもできないか」と問われたんです。
 ただ、魚の場合は普通、加工すればするほど値段が下がっていくんですよ。鮮度のいい刺身が一番高くて、冷凍やフライ用の加工品になるにつれて安くなっていく。でもあらためて考えてみると「出汁」は違う。出汁は加工度を高めれば高めるほど、価値が上がっていきます。そのほかにも世界で戦える商品はあるなと。
 自分が世界で戦える土俵に立っているんだと気付きました。
(*3)地方企業と専門性の高いプロ人材をつなぐ複業(副業)マッチングプラットフォーム。

「鹿児島中が
つながっている」感覚に

 薩摩会議には鹿児島市だけじゃなく県内の各エリアを拠点とする人たちがバランスよく参加しています。彼らと一緒に飲むだけのこともあるし、課題解決に向けて話し合うような場もある。それを繰り返すうちに仲間意識が強くなって「鹿児島中がつながっている」ような感覚になっていくんです。
 SELFでできた関係性ってビジネス抜きな感じがするんですよね。なんというか、根っこの考え方がつながっていて、信頼し合っているような。そこまで関係性ができているのはSELFしかないと思う。
 関わる人が多くなるほど自分に還元される感覚はもともとありました。
 郷中塾やSELFを通じて知り合った人たちに相談にのってもらったり、「この人とこの人を会わせると面白いかもしれない」と自分から声をかけることもあります。
 みなチャレンジしている人たちだから、自分が新しいことを始める際も相談しやすいし、無意識に後押しされている面が大いにあると思います。

取材|2024年12月