創業100年企業の荒波への挑戦

創業100年企業の
荒波への挑戦

小平勘太

小平株式会社 代表取締役社長 / SELF 共同代表理事

100年企業の大変革。
「第4の創業」へ

小平株式会社(KOBIRA Corporation)は鹿児島の総合商社。ガス、電気などのエネルギー事業、IT事業、貿易事業などを多角的に展開している。小平勘太氏が4代目代表に就任し、2022年からを「第4創業期」として大きく会社の方針を転換させてきた。「地域に根ざし、世界で勝負する」をスローガンにグローバルにビジネスを行う一方で、本社を日置市湯之元に移し、地域の空き家を宿やワーキングスペースにするなど活性化のプロジェクトを進めている。

創業からの歩み

 小平株式会社は、創業1912年。110年以上の歴史をもつ企業です。主にガスや電気などエネルギーを扱う部門と、IT事業、貿易などを行っています。社員数は75名ぐらいですかね。海外まで入れると14拠点ぐらい。
 ざっくり歴史をふりかえると、曾祖父が鹿児島県串木野の金山でクワやツルハシのメンテナンスを始めたのが最初で、その後、祖父がプロパンガスの事業を始め、親父の代で新たにITや貿易を始めました。ガスの事業は鹿児島だけでなく宮崎県あたりまでを対象に小売と卸があります。
 関連会社の太陽ガスとはもともと一つの会社で、親父の代で袂を分かったものの、いまは弟が代表を務めています。日置市の脱炭素に取り組む「ひおき地域エネルギー株式会社」への出資や共同での事業も行っています。

はじめはうまくいかなかった事業承継

 形式上は2010年に親父から事業承継しました。でもはじめは本当の意味での承継がうまくいかなかったんです。親父もまだ「自分の会社」という意識が抜けなかったんでしょうね。はじめの数年は口出しされるし、私は私で農業分野でやりたいことがあったし、別会社に注力していました。
 会社の中長期計画をつくったりもしましたが、社員に浸透せず、絵に描いた餅に終わったりして。
 でもどんどん事業の中身が時代遅れになっていて、このままだとヤバいなと内心、危機感は感じていました。2021年8月、いよいよここで何とかリカバリーしないと厳しいというタイミングで腹が据わったというか決心がついたんです。
 当時は親父のワンマン会社で、社員が親父の顔色を窺いながら仕事をしているような状態。労務なんて概念もなく、マネジメント不在と言ってもおかしくない会社でした。組織面がボロボロだったので、野崎さんに連絡してmusuhiに協力してもらえないかと相談しました。
2022年4月からを「第4創業」として掲げ、会社全体で生まれ変わるつもりでプロジェクトをスタートしたんです。

ここ2〜3年で一気に変えてきた

役員合宿でつくった理念

 最初の大きな変化は、いま副社長の池田亮平くんが入社してくれたこと。musuhiの野崎さんとのつながりで知り合った人物で、いまや右腕のような存在です。社内に話が通じる相手ができたのは大きかったですね。それまでは僕が何か提案してもわかってくれる人が社内にいなかったので。
その後musuhiに入ってもらい、会社の理念・ミッションづくりから始めました。2022年の4月に役員全員で城山ホテルで合宿して、会社の理念をつくり、できたミッションがこちらです。

「海の冒険者を祖に持つ『新しい老舗』として、不確実性の荒波を乗りこなし、これからの百年も安心と希望を社会に届け続ける。」

このミッションを実行するために、人事、組織、制度などの戦略に落としていきました。ミッションが大きな方向性を示すものだとしたら、ビジョンはミッションにたどり着く手前の中継地、具体的な目的地です。池田くんと二人で考えて6つの柱を立て、この柱に基づいた戦略で経営しています。

経済も環境もあきらめない

 6つのビジョンの中に「成長も環境もあきらめない。経済活動の矛盾から逃げずに新たなサービスを生み出す」や「鹿児島、日本、世界に、KOBIRAビジョンを実現するためのネットワークを創る」を入れました。
 LPガス事業というと、どうしてもCO2を出すし、正直、環境に良くないものですよね。だからといって開き直るのも違うし、事業をやめるかというとそれも違う。
たとえば今「プロパネーション」といって、水素と二酸化炭素(CO2)を合成してプロパンガスを製造する技術があります。それを使えばCO2はプラマイゼロになるし、ほかにも水素の割合を多くしてCO2の排出量を下げるなどの方法が考えられる。
 そんな風に、矛盾するものを統合して新しい商売をつくっていくのが俺らの進むべき道だという強い思いがあって。そこをきちんとビジョン化できたのがよかった。またこれまでは何でも自社のみで完結してきましたが、水産業界やSELFなどのネットワークのなかで外部パートナーとともに実現していこうという方向性が生まれたのも大きな変化です。

ここ2〜3年のビジネス的な変化

 ミッションとビジョンが整理された後、戦略を通して実行していく段階で、小平の事業全体、とくにIT分野など時代遅れになっていた部分を一気に更新しました。これまでは営業マンが頑張って古いシステムをコンサルとセットで安く売るスタイルだったのですが、サービス自体のクオリティを上げて技術力を上げる方向にぐいっと方針転換して。これからようやく効果が出てくるかなという段階です。輸入も円安で競争力がなくなってきたので、貿易事業も輸出に転換しました。

伴走者との対話から見えた
新しい道

musuhiの存在

 musuhiには理念をつくるところから入ってもらって以来、ずっと伴走してもらっています。そのことが今の会社に、めちゃくちゃ大きく影響しています。
 具体的な戦略は自分たちで決めますが、musuhiはずっと対話の相手をしてくれて、話を重ねる中で答えが見つかっていくようなイメージです。
 たとえば僕はロジックの塊のような人間なので、極端に走りすぎてしまうことがあるんですよ。ロジカルに考えれば、いま業界がシュリンクしているガス事業なんて大手に売った方がいいし、売ったお金で株式に投資した方がROIは断然いいなとか。社長の僕がそんなことを言い出すと誰も止められなくて、理念そっちのけで、金儲けに走ろうとしてしまう(笑)。
 でもそういうことじゃないよねと。話しながらちゃんと理念の方へ軌道修正してくれるのがmusuhiという存在です。いまの時代、地域の会社がエネルギーを循環させたり、地産地消することに新しさや意味がある。そう自分が気付かされていく。ミッションやビジョンに引き戻してくれる存在ですね。

組織マネジメントに
対する考えの変化

 また、社内サーベイや半年ごとの全社ビジョンミーティングなど、社員の声に耳を傾ける機会を定期的に設けていて、この設計や司会をmusuhiにお願いしています。
 結果として、私自身の組織マネジメントに対する考え方が大きく変わりました。
 全社ミーティングでは、毎回テーマを設定して、社員が考えていることを引き出してもらうようなワークをします。個人の意見を全体の集合知にしていくイメージですね。一人一人の心理状態をお天気アイコンで示してもらうと、激動の時期には嵐マークがたくさん並んだりします。でもみんなのアイコンが可視化されると「自分だけじゃないんだな」とわかったり、「今はこうだけど、会社はこちらへ向かっているんだな」と認識できる。日々の仕事の中では見えにくい、個人の立ち位置と会社の方向性を擦り合わせることになるわけです。人事評価システムの透明化も進めました。
 そうしたことを続けてくると、組織のマネジメントって戦略上も大事なんだと気付くようになります。もともと私は組織の話に関して懐疑的で、人の心なんて推しはかれるものじゃないし、管理できるわけないと思ってきたんですね。
 組織の話って、ウェルビーイングや心理的安全性など社員に優しくする話が多いじゃないですか。社員の幸福度だけを目指すとホワイトでぬるい組織になってしまうし、成果だけを目指すとブラック企業になっちゃう。組織と戦略って逆ベクトルのものだと思っていたんです。
 でもそこをいかに両立するかが、これからの経営には必要だと気付きました。実際、従来の福利厚生や給料だけでは人が採用できなくなった後に、ミッションやビジョンに共感して入社してくれた若い人たちが、いま会社のコアを担う大事な人材になっています。それだけみんなが働く意義を重視する時代になっているんですね。
 組織のマネジメントは、戦略実現の一貫だと今は思っています。

土地へのコミットメント

「ハマオカポケットパーク」
オープン

 2024年には日置市の湯之元という地域に本社を移しました。もともと鹿児島市内の県庁の近くに自社ビルがありましたが、コロナ禍で出社率も下がったことから、リモートで働けるようにして。ちょうど免震工事を行うか、新しくつくろうか迷っていた本社も移そうと。
 いま本社があるのは、かつての湯之元の中心部です。スーパーや魚屋、薬局のあった目抜き通りで、向かいに母方の実家が営んでいた浜岡衣料品店もありました。その跡地に、2021年「町の番台」として、テイクアウト専門のシェアカフェ「ハマオカポケットパーク」をオープンしました。チャレンジショップのようなもので、誰でも無料で出店できる共有スペースです。
 初めはそれほど期待していなくて、時々自分でコーヒーでも提供しようかくらいに思っていたんです。それがコロナ禍もあって予想以上に人気になって。地域の店が出店してくれたり、カフェなど店舗を持たない方がテスト的に出店したり、店同士のコラボが起きたり。先日は韓国人の女性が韓国居酒屋を開いてくれて盛り上がりました。毎週2〜3組、延べ200回以上、50社を超える方々に活用してもらっています。
 地域の皆も美味しいものが食べられるようになって喜んでいるし「企業が町にコモンズをつくった」といった文脈で、かなり話題になりました。

「街まるごとオフィス」
プロジェクト

 ハマポケの後、「港」をイメージして設計してもらったのが本社のこの建物「ハーバー」です。本社移転を機に日置市と「企業と地域の新しい関係性を通じて、湯之元を世界に誇れるウェルビーイングタウンにしていくための連携協定書」を締結しました。地域に増えている空き家をワーキングスペースへとリノベーションする「街まるごとオフィス」プロジェクトを始めて今、2箇所ほど手がけています。
 そのうち一箇所は、もともと「ほろよい」って居酒屋だった建物をゲストハウスにしようと。18時から21時は自動でライトが点くように設定して、商店街を明るくしようとか、さまざまな試みをしています。
 こうした地域での取り組みは、SELFの 影響がなかったら絶対手をつけていなかったと思います。地域にコミットしているのを見て、うちの会社に入社してくれる若手も結構いて採用に結びつく結果になっています。

コミュニティの
充実度を高める

 もともと僕は人口減少が進む地域にお金や労力を注ぐのは、ざるに水をぶっかけるようなもので、無駄だと思っていたんですよ。でも日置に暮らし始めて見え方が変わりました。
 小平の本家は日置にあります。太陽ガスの本体も日置ですし、妻もここの出身。いまは海寄りの90世帯ほどの集落に住んでいて、毎年人は減っていますが、密なコミュニティの良さがあります。
 人の人生にも必ず終わりがありますよね。でもだからといって「その間よく生きなくていい」ってわけじゃないじゃないですか。集落やコミュニティも同じで、最終的には消滅するかもしれないけど、その間の幸福度をいかに上げるか、人生やコミュニティの充実度を高めることが大事なんじゃないかと気付いたんです。
 いま、この湯之元は永山由高市長の影響もあるけど、エネルギー量が高くて活気があります。その理由として、意外とハードの力が大きいのではないかと僕は思っています。
 ハマポケをつくる前、あそこに何があったらいいか近所の人たちに聞くと、みんなカラオケとかコンビニとか言ったんですよね。でも何かよくわからないけどデザイン的にもいいハマポケのような場所をつくって、人が出入りするようになって注目を浴びた影響は大きかったと思う。
 その後も本社を建てたり、空き家を改修して新しい建物や場をつくったことで、県外や海外からも人が来るようになりました。新しい求心力が生まれて、外と中との刺激を誘発する仕組みができつつあります。
 公民館にはない、何かが起こっている感じというか、“場の雰囲気”ってすごく大事ですよね。

視座を上げてくれる関係性

ローカルが最前線の
挑戦の場

 地域にコミットしようと思った背景には、SELFの影響が大きいです。ローカルが都落ちの場じゃなくて最前線なんだと認識が変わりました。
 僕、SELFの活動を始めるまで鹿児島に全く知り合いがいなかったんですよ。偏見ですが鹿児島の人間関係には上下関係があって理不尽そうだし関わりたくないというか。でもSELFはまったく違っていて、フラットだし、刺激を受けることが多かったんです。
 とくに思想の面では、薩摩会議やサーキュラデザインウィーク(*1)などから、すごく影響を受けています。
 30代までは農業ビジネスにどっぷりはまっていて、スタートアップの資金調達などでいかにビジネスをグロースさせるかに関心がありました。でも今はビジネスを大きくするより、いろんなところで真似できるスプレッドのアプローチが、社会を変えるのには有効ではと思い始めています。小さい点が世界中にいっぱいできていく社会変革のアプローチです。
 僕は自分が学んだことをビジネスモデルとして社会にぶつけて、反響が得られるような仕事が好きなんだと思います。それをたまたま縁があって、経済的、政治的にも影響力をもてる日置という場で実践できる立場にある。それを各地にスプレッドさせていきたい。それが今一番、興味のあるところかもしれません。

(*1)2023年、サーキュラーデザインの実践が進む鹿児島の5地域で開催された。フィールドツアー&ワークショップとカンファレンスの2つのイベントから構成される。

「視座を上げてくれる」

 いま鹿児島全体でキーマンがつながってエコシステムが醸成されている状態は、経営者一人一人の成長に大きく寄与するんじゃないかと思っています。僕自身、人間的にすごく成長させてもらったので。
 たとえば薩摩会議でよく150年後の未来の話が出ますが、「未来を描く」って案外難しい能力だと思うんです。より深く広いビジョンが求められる。将来こうなればいいよねってビジョンを語るには、自分の意思をもつ訓練が必要で。筋トレのようなものですが、その訓練をブートキャンプのようにさせられるのがSELFです。薩摩会議の前には、めっちゃ勉強しますから。
 今年の薩摩会議でも、自分は金融の人間でもないのに地域金融のセッションに呼ばれて「今後の地域金融ってどうあるべきか」を考えて、めちゃくちゃ勉強しました。知った風なことを言うとボコボコにされるから、勉強して一回忘れてまた臨むみたいな(笑)。
 やっぱり地域の中だけでやっていると、どう事業の採算を合わせるかといった目先の話に終始しがち。そこに世界レベルの理論を持ってきてくださる方々がいて、僕たち田舎の経営者の視座を上げてくれるというか。
 金融のセッションでもインパクトファンドとかゼブラみたいな話に、じゃあ鹿児島銀行はどうなんだという地元の話ができたのはすごく良かったと思うんですね。

当たり前に
見えていた文化の再定義

 世界的な潮流の中で、自分たちのやっていることを再定義できる良さもあります。先日、サーキュラーデザインウィークで台湾に行った際に、ある建築家が「人の営みと自然が調和するような風景や景色づくりをバイオリージョンと言ってこれからのトレンドだ」と話されていて。まさに鹿児島の仲間がやっている「小浜ビレッジ」がそれじゃないかと。湯之元の青年部でやっている集落の草刈りもバイオリージョンの一環なのではとか。当たり前に見えていた風景の意味付けが変わります。
 薩摩会議でも「AIが人の知性を超える時に、僕らは何をすればいいのか。どう生きればいいのか」といった問いに、「地方のこうした暮らしに答えがあるんじゃないか」といった答えをもらったり。 海外からの視点で自分たちの文化を再定義するようなことが起きるんですよ。
 そう考えると、会社や事業だけじゃなく、個人としての生き方やあり方にも影響が大きい。
 僕自身でいえば、いまは「次の地方中小企業の理想のあり方」に関心があります。地域に根付いた歴史ある会社の社長という立場で、黙っているとバッドエンドになりそうな地方の将来を、どうねじ曲げていけるか。その挑戦です。海外への挑戦と、地元での展開と両方をやりながら、理想の会社を20年ぐらいかけて体現していけたらいいなと思っています。

取材|2024年12月